夕闇マヨエール

オタクが重箱の隅をつつくブログ

一番性質が悪いのはアンチではなくアンチ行動をするファンなんだ、ごめん

モヤモヤしたのでファンという名のアンチについて書いてみた

自分がアンチナイト(ファンのふりをしながらアンチ行動を取る人)にならないための記事です。「古参大手」や「声の大きい人」について語っています。興味がある方はどうぞ。

インターネットの普及と懐古厨

どのジャンルにもアンチはいる。アイドルのファンやアーティストのファン、芸能人のファン、アニメや漫画・ゲームのファン。例を挙げればきりがないが、オタクの中にも解釈違いによる派閥や対立は存在する。いわゆるアンチと呼ばれるファンと熱狂的なファンとの隔たりは、オタク文化がカルチャーとして定着した今も変わらない。

行動が決して良いとは言えないアンチが多いのは事実で、ジャンル(以下、公式)にトツゲキしたり(サイトやSNSで直接アンチ意見を述べるなど)、ファンに攻撃し、応援をやめようと思うくらい追い詰めたり。中には関係する監督やスタッフ、演者にまでストーカー行為をしてしまうアンチまでいる。以前は無視が一番の薬であったが、インターネット社会の中ではそれも難しい。

特殊かもしれないが、私は何かにハマるとき、アンチの意見を参考にしている。アンチの中にも、冷静な分析の末に客観的な意見を出す人がいるからだ。おすすめできる方法ではないが、アンチの意見を読んでも好きでいられれば、本当にハマっているということになる(ちょっとエム的なハマり方)。

「同じ趣味を持つもの同士繋がれれば幸せ」という感覚が薄くなってしまったのは、良くも悪くもインターネットの普及によるものだ。手紙や雑誌、コミケなどのイベント会場でのやり取りだけだった一昔前のアナログオタク業界は、それらが全てのコミュニケーションツールだった。同志に出会うためには、自分から積極的にコンタクトを取らなければならない。直接会って話をするとなれば、身だしなみに気を使うだけではなく、それなりに社交的な自分を出すしかなかったのである。

現在は私のようなコミュ症でも、なんとなく繋がることができる。その点は少し楽になった。しかし、すぐに繋がれる分、同志を越えた存在になりたいという欲も出るだろう。お互いの距離を測るのも絆を深めるための有効な手段だが、ネット上でのトラブルは尽きないので、そこは注意したい。安心してネット上にあるコミュニケーションツールを利用する方法は、自分で考えるしかないのが現状だ。

田舎在住の私にとってはコミケ参加などただ遠い世界の出来事であり、オタク友だちを作るまでに何年もかかってしまった記憶がある。現在は同人誌が通販で買えたり、コミケに行かずとも公式やファンの人たちによるSNSなどを見れば、自分も直参したようにイベントを楽しめる。この部分はインターネットさまさまと言えるし、本当にありがたい。自分が身を置くカテゴリやカップリングをあらかじめ選べるということが、ネットの一番の希望だと思う。

いつの時代にも「声の大きい人」は存在している?

現在は、SNSでの交流を主としている世代がオタク業界を担っていると言っても良い。気軽にメールやラインで連絡を取り合い、盛り上がることも可能だ。これはコミュ症の私でも利用出来るので、大変ありがたい。やっとインターネットツールを使えるようになったのだが、どうしても「声の大きい人」の存在が目に入ってしまう。どう見ても同じくらいか、それ以上の世代が、極一部だがアンチナイト(アンチ騎士)化してしまっている現実。要するに、アンチの意見よりアンチ化したファンの方が性質が悪いということ。

SNSやブログで応援や情報を発信している人の中には、わずかだが自分以外のファンを見下している人がいる。応援歴が長いことと、他のファンとは違って私は何でも知っているということを、やたらと大きな声で発信しているファンである(通称:古参大手、または、声の大きい人)。

  • 最近知ったというファンを下に見て攻撃し、自分が知っている情報は小出し。昔の話ばかりをし、公式の現在や未来についてはしどろもどろ
  • 自分が一番公式が好きだと言って譲らず、自分のもの呼ばわり。更には、現在の公式の良くない点ばかりあげつらう
  • 他のファンのSNSやブログの内容に触れ、軽くdisるのが趣味
  • どういうわけか、公式は自分の発信を見ていると確信している。それなのにダメージ確実な言葉を書く

声の大きい人は、とにかく勢力が大きい。だからこそ、その特異性に気づかれていないことが多い。ググると先頭ページに出てきてしまうので、本当にやっかい。ファン代表のような態度で、実はファンを減らしているのはこういう人だと思う。周りに該当する人はいないだろうか? 私は何度かこういう人に出会っている。そして、実際にかなり痛い目にあったことがある。だからこそ、記事にしたかった。

175とアンチナイトの違いとは

以前に175層と呼ばれる「ジャンルを渡り歩く人」がジャンルをダメにしているという記事を見かけたことがあるけれど、このファンを装うアンチのほうがやっかいなのではないかと私は思う。何故なら、熱量が違うからだ。前者は全力で公式を愛しているが、後者はすでに去るチャンスを窺っている場合が多い。これからハマろうと思う人が、極少数のアンチナイトを見つけて、ジャンルから去るというパターンはあるだろう。

最も性質が悪いのは、ファンがほぼ全員その人をフォローしている場合だ。ファンのファンがたくさんいる状態。声の大きい人が絶対的存在のようになっている公式は、物悲しい。アンチナイトと逆の発信をすると、すぐに読まれてdisられるという。仲間はずれごっこを公式絡めてすな!

ジャンルがよほど大規模でない限り、公式以外のニュースやイベント、中の人やファンクラブ、2.5次元、個人活動などの付随情報をググって全て見つけることは難しい。ラインやツイッターはすぐに旬の情報を発信できるが、偽アカも多く、本人マークがなければフォローするのもためらってしまいがち。そこへ表示される声の大きい人。つい読んでしまうのが、ファン心理というものだろう。アンチナイトにまんまと倒されて、ハマれずに終わったジャンルがいくつかある。

特にひどいのが、公式情報と公式批判だけを発信しているアンチナイト。写真や画像は引用ではなく無断転載。感想や考察までフォロワーに委ねているところもある。一種の語り場としての役割を果たしたいのであれば、根も葉もない噂やアンチ意見を載せるべきではない。

ライトファンに対する風当たりの強さ

そもそも、愛というのは人それぞれに形があっていいはずだ。どれだけ応援しているかやどれだけ長く好きでいるかは、公式には関係のないこと。応援を始めた時点で公式からは愛されているということだし、裏切り行為さえしなければその愛は永遠だろう。自分が一番愛していると思うのは自由だけれど、それを他の人に押しつけてはいけないと思う。

ライトファンが長く応援している人よりも愛されているというのは錯覚だ。ライトファンは「私ももっと早くハマりたかった」と常に思っているはずだし、長く応援している人がうらやましいと感じているだろう。だからこそ、公式に愛され続けている人たちは、もう少し公式を信じて欲しい。こちらから手を引かない限り、公式は逃げない(一部例外はないとは言えないけれども……)。

もしも揺るぎそうになったときは、今までの歴史を思い出せば良い。どれだけ自分が愛してきたのかを思い出せば、少々おせっかいな口うるさいファンであっても、アンチナイトにはならずにいられる。自分がファン代表のように振る舞うのはやめて、あくまでも公式の一部なのだと思えば、どう行動すれば良いのかもわかるはずだ。

私は10年前後応援している公式が4つほどある。これからアンチナイトにならないために、ここに記しておく。

ちょうどキリ良く、3,000文字達成。これからこのようにくどくてうるさくて面倒くさくてヤバみ全開の気持ち悪い記事を上げて行きたいと思いますので、もし興味がありましたら今後ともよろしくお願いします。

最後まで読んで下さってありがとうございました。